さんゆうねっと

お手伝いハルコの食の森羅万象

長年食を多面的に観察してきた後藤晴彦(お手伝いハルコ)が、食文化の現在過去未来を考察します。

パリ滞在記・② パリの100年大衆食堂

パリ滞在中、アパルトマンで朝食をとってから、メトロで美術館へ毎日出かけていました。パリの主だった美術館は何度も観ているのですが、今回は再度訪れたい美術館と新たに開館した美術館を中心に、午前中は美術館で過ごして遅めのランチを取り、また午後から美術館に行き、一度アパルトマンへ戻ってから夕食を食べに行くという生活を満喫していました。

これまでパリで食べ歩きをする際は、毎回テーマを決めて実践していたのですが、今回は漠然と、高級フランス料理のオートキュイジーヌ(haute cuisine)ではなく、ブラッスリー(brasserie)やビストロ(bistro)のような、昔からフランス人に愛されている「大衆食堂」的な店を選んで食べることに決めたのでした。

30年以上前に初めてパリを訪れた時、最初に食べた料理が“choucroute(シュークルート)”だったのですが、シュークルートは元々フランスとドイツの国境付近のアルザス=ロレーヌ地方の名物で、ドイツ語だと“Sauerkraut(ザウアークラウト)”というのはご存知だと思います。1870年からの普仏戦争の時に、アルザス=ロレーヌ地方からパリに移住した人々がザウアークラウトとビールを提供する店を始めたのですが、そのような店はブラッスリーと呼ばれ、ビアホールのように酒と食事を提供する大衆食堂的な店を指していました。ブラッスリーは定着し、今やパリには100年以上続く老舗も数多くあるのです。

もうひとつの大衆レストランであるビストロには、従来のビストロから進化を遂げた「ネオ・ビストロ」というのもあります。簡単に言うと、レストラン(gastronomie:ガストロノミー)のカジュアル版がネオ・ビストロ(bistronomie:ビストロノミー)なのです。パリではこのネオ・ビストロ的な店が次々とオープンして人気を博していますが、ここ日本でも出現しています。この話はまたの機会に書きます。


さて、前置きが長くなりましたが、今回はマレ地区にあるアルザス料理のブラッスリー“Bofinger (ボファンジェ)”へ。1864年創業のボファンジェは、日本でも有名な“Cafe FLO(カフェ・フロ)”を創業したフロ一族の手によるもので、アルザスでの創業は1901年と、1世紀以上も続く老舗なのです。このブラッスリーには、大きな丸天井にアールヌーボー様式のステンドグラスがあり、面取りした鏡や絵画、輝くような照明に囲まれ、古き良きベルエポックな内装も一見の価値があります。

テーブルについてカルト(メニュー)を見ながら、季節の牡蠣とシュークルートをオーダーしたのですが、後から隣に来た人が大きなプレッツェルとビールを最初に注文していて、「あぁ、これを最初に頼むべきだった!」と思ってしまいました。“Brezel(プレッツェル)”はドイツ発祥のパン(スナック菓子)で、ビアホールではビールとともに売られていて、ボファンジェでも出しています。次回来た時には、絶対に食べようと思います。ちなみに、ここの看板は男女の子供が歩いている絵なのですが、男の子の方はプレッツェルとビールを持っているのでした。

このブラッスリーの席数は相当有るのですが、あっと言う間に満席で、隣のテーブルとの間隔もあまりなくて、まさにギッシリという感じでした。意外に一人で食べている人も多く、かなりラフな格好なので、きっと近所の常連客なのでしょう。ふと見ると、一人の老婦人が静かに食事をしており、以前パリの友達とあるブラッスリーで食事をしていた時の話を思い出しました。この店には、何十年も同じ時間、同じ席、同じ料理を食べに来ている老婦人がいるんだよ、そして、その老婦人が来ないと店の人が心配して見に行くのだと。パリのブラッスリーは料理も安価で旨いのですが、それ以上に客と店が一体化して醸し出す空気が一番の魅力ではないかと思うのです。

後ろには、二段に重ねられた(それも二連!)貝の盛り合わせ“Plateau de fruits de mer(プラト・ド・フリュイ・ド・メール)”を、6名ほどの男性達が皆幸福そうな顔をしながら猛烈な勢いで食べているテーブルがあり、他にも大きなステーキとポムフリットを上品に食べている老紳士など、まさにパリの食を楽しむ真骨頂がブラッスリーだと思う次第で、また次回にも絶対に来たいと心に誓うパリの滞在でした。