さんゆうねっと

お手伝いハルコの食の森羅万象

長年食を多面的に観察してきた後藤晴彦(お手伝いハルコ)が、食文化の現在過去未来を考察します。

「辛さ」は味なのか?

あくまで個人的な意見なのですが、人間の味覚は歳とともに変化すると思っています。

若い頃は、どんなに辛くても平気で食べられると自慢するほど、激辛料理が大好きでした。タイに「プリッキーヌ(Prik kee noo)」と呼ばれる非常に辛い唐辛子の品種があるのですが、タイの言葉で「ネズミの糞のような」という意味で、名前の通り長さが2~3cmほどの小さな実です。このプリッキーヌを平気で丸かじりしていたのですが、タイを再訪した時に、突然このプリッキーヌや激辛料理が食べられなくなってしまったのです。辛い物の刺激に対する受容体が、まるでコップの水が溢れるが如く失われてしまったように感じました。それ以来、タイ料理・インド料理・韓国料理・中国料理などの激辛料理は避けるようになってしまったのです。

このプリッキーヌという唐辛子、辛さの単位で表すと、実は5万?10万SHU(スコヴィル値)もあります。「スコヴィル値(スコヴィル辛味単位 (Scoville heat units, SHU)」をご存じない方のために少し説明しますと、これは唐辛子の辛味物質を測定する単位で、アメリカの化学者Wilbur Scoville(ウィルバー・スコヴィル)の名前に由来しています。当初は複数の被験者によって得られた唐辛子エキスの溶解物を辛味が感じなくなるまで甘味のついた水に溶かした倍率をスコヴィル値としていたのですが、現在は検査機器が出来て国際単位となっています。ちなみに、日本の鷹の爪は4万~5万SHU、タバスコペッパーは5万SHUで、猛烈な辛さで知られるハバネロは10万~35万SHUもあるのです(アマール・ナージ著「トウガラシの文化誌」(晶文社)より)。

さて、「辛さ」って何でしょうか?

甘味・酸味・塩味・苦味にうま味を足して「五味(ごみ)」と言いますが、ここに辛味は入っていません。ところが、中国の四川料理においては、痺れるような味の「麻」、辛味の「辣」、甘味の「甜」、塩味の「鹹」、酸味の「酸」を五味としているのです(苦み・香味を加えて、七味が四川料理の基本とする説も)。


参照:画像 1「四川の辛さの方程式・1」
(後藤晴彦『おいしい工学研究室』より)


この「辛さ」の謎を解くために、四川料理の第一人者として知られる料理人を取材したことがあります。町田調理士専門学校の中国料理の客員講師である橋本暁一シェフです。橋本暁一シェフは、シェラトン都ホテル東京「中国料理 四川」の前料理長で、日本における中国四川料理の開祖である陳建民(ちんけんみん)氏の数少ない直弟子なのです。

はっきり言って、この取材は大変つらいものでした。辛さの度合いを舌で覚えてと、先ずは四川料理に使用する食材を全部味見させられたのです。四川の唐辛子「朝天辣椒(チャオティェンラージャオ)」からはじまり、青花椒(アオホアジャオ)や花山椒(はなさんしょう)、赤唐辛子に鮒(ふな)を加えて乳酸発酵させた「泡辣椒(パオラージャオ)」という酸っぱ辛いものに青菜を古漬けにした「酸菜(スァンツァイ)」などなど。20種近く味見をしていたら、最後は口が痺れてしまいましたが、単に辛いと云うだけではなく、その中にある酸味・塩味・甘味は日本料理にはない複雑で奥行きのある世界でした。

四川料理の基本として、辛味というのは舌先に刺激を与える「痛さ」と「熱さ」の複合した味覚になります。これは一般的な五味では味に分類されませんが、四川料理では絶対に必要な味覚なのです。そして、四川料理では辛味から酸味の幅の中で、熱(熱さ)・痺(痺れ)・香(香り)・酸(酸味)・酵(発酵した酸味)という5つの要素が絡みあっているのです。

基本的な五味(甘味・酸味・塩味・苦味・うま味)は、いずれも水溶性の味物質が舌の味蕾細胞で感知されて生じるが、唐辛子の辛味物質であるカプサイシンは脂溶性であり、舌の上皮細胞を通り抜けて感覚神経で感知されます(富永真琴「温度を感じるしくみ -受容体分子の発見」:総研大ジャーナル 10号(2006)より)。この仕組みには、43℃以上の熱や酸の刺激で活性化されるTRPV1(Transient Receptor Potential Vanilloid 1)というセンサーが関与していると考えられており、「熱い」と、また同時に「痛い」と感じるのです。いくら水を飲んでも辛みが消えないのはこのためなので、逆に水を飲み過ぎると辛みがどんどん長引いてしまいます。タイでは、このような時に角砂糖を貰って痛みを抑えた記憶があります。

辛いものにはすっかり弱くなりましたが、舌の温度受容体が鋭くなったのかどうかは自分では判りません。それでも、四川料理の麻婆豆腐の魅惑には勝てず、辛い辛いと言いながら食べてしまいますね。


参照:画像2「四川の辛さの方程式・2」
(後藤晴彦『おいしい工学研究室』より)