さんゆうねっと

お手伝いハルコの食の森羅万象

長年食を多面的に観察してきた後藤晴彦(お手伝いハルコ)が、食文化の現在過去未来を考察します。

上海蟹遁走曲

色々な食材が出回る秋から冬にかけては、一年の中で一番美味しい季節かも知れません。河豚(ふぐ)に生牡蠣、ジビエ、白トリュフと、この季節にしか食べられないものが沢山ありますが、その中でも上海蟹(シャンハイガニ)には格別な思い出があります。

初めて上海蟹を食べたのは、三十数年くらい前でしょうか。まだ上海蟹が一般的ではない時代でした。上海蟹の輸入元締め、神保町の中華料理店「新世界菜館」で傅健興(ふうけんこう)氏の上海蟹を食べる会に参加したのが最初だったと思います。目の前に生きた上海蟹がタコ糸で縛られていて、付いている札に自分の名前を書いて蒸してもらうのですが、途中で蟹が逃げ出し、テーブルの下を皆で捜索して、大騒ぎになったことがありました。それからというもの、季節になると、その「新世界菜館」や六本木の「中國飯店」、新宿の「シェフズ」等を転々としながら、上海蟹を楽しんでおります。

上海蟹の思い出と言えば、もうひとつ。上海蟹の本場である蘇州の太湖(たいこ)に行こうと、上海から太湖方面へのツアーに参加した時のこと、その年は数十年ぶりの大寒波とやらで、立ち往生してしまったことがあります。普段は積雪の少ない地方なので、道路の方々でスリップした車があっちこちに転倒していたほどです。

上海蟹は通称で、正確には中国藻屑蟹(チュウゴクモズクガニ)と呼ぶそうで、以前は支那藻屑蟹(シナモクズガニ)とも言われていました。淡水性ですが、汽水域(海水と淡水が混じりあっている水域)で成長して、水門(閘)の近くに産卵に来ることから、中国では大閘蟹(ダージャーシエ)と呼ばれています。また、中国語で河蟹(ホーシエ)や清水蟹(チィンシゥイシエ)とも呼ばれていますが、養殖の場所を見学すると、清水と言うより泥水でした。


上海蟹の旬は9月~2月頃。でも、実は年中味わえます。では、何故秋から冬にかけての食材なのかと言えば、夏に活動が盛んで、寒くなると急に動かなくなり、蟹味噌や蟹肉が一気に蓄積されるからだそうです。よく「10月の雌、11月の雄」と言われていますが、上海蟹は生きたまま空輸で日本へ送られてくるので、タイミング次第では雌雄同時に味わうこともです。

上海蟹は、蒸す、茹でる、炒めると、多彩な調理に向いていますが、一番代表的な方法は蟹を丸ごと蒸す「清蒸大閘蟹(姿蒸し)」です。雌雄両方が揃っていれば、姿蒸しをオーダーします。

輸送中に動き回ると、はさみで傷つけあったり脚が取れたりして傷がつくため、料理店では通常紐で十文字に縛って生きたままテーブルまで持ってきます。厨房でいっぺんに沢山蒸すため、自分が選んだ上海蟹だとわかるように札に名前を書いておきます。蒸し上がると、赤く色づいた蟹が再び運ばれて来て、白手袋のホールサービスの方が、目の前でハサミを使って蟹を切り分けていくのですが、皿の上に生前に近い形で厳かに並べてくれるので、まるで解剖図鑑のようです。

雌はお腹にオレンジ色の卵を抱えており、雄は白子が入っていて、雌より一回り大きくて爪先の部分に沢山の毛が生えているので、直ぐに見分けがつきます。雌よりも一回り大きな雄の方がお得なように感じられますが、どちらも舌にからみつく黄金色の蟹みそが旨くて、紹興酒が進みます。上海蟹自体は身体を冷やす素材なので、身体を温めるために生姜や温かな紹興酒と一緒に食べるのが鉄則なのです。

上海蟹はそれなりに高いのですが、白手袋のスタッフがサービスしてくれる店と自分で解体する店では値段が倍くらい違うので、自分でチョキチョキ切って、蟹スプーンで食べながら紹興酒をグビグビ呑む、気楽な店の方が良いですね。