さんゆうねっと

お手伝いハルコの食の森羅万象

長年食を多面的に観察してきた後藤晴彦(お手伝いハルコ)が、食文化の現在過去未来を考察します。

コロッケそばはフランス料理だった!?

25年前の古いノートを見ていたら、「東京コロッケヴァカボンド(放浪)」とあって、何やら駅の立ち食いそばのことが書かれていました。記憶を辿ると、その頃コロッケそばに興味があり、頻繁に立ち食いそばに通っていたのです。食に興味ある方でも、「コロッケそば」なるものを知らない、食べたことがない、という方も多いのではないでしょうか。

立ち食いそば屋は、主に多くのひとが行き交う駅周辺に集中していますが、繁華街でも良く目にします。まず、入口付近の券売機で「コロッケそば・うどん」のチケットを購入して、カウンターに出して「そば」とオーダーします。出来上がったら、セルフで空いている場所へ移るのですが、立ち食いといっても席のある店もあります。

コロッケそばというのは、一般的にかけそばの上にコロッケが1個のっており、店によっては若布(わかめ)やネギが入っています。食べ方はと言うと、そばとコロッケを交互に食べても良いのですが、私はコロッケをそばの下に沈めて、あらかたそばを食べ終わってから、そばつゆをたっぷり含んだコロッケをいただきます。中のジャガイモとはがれた衣がつゆの中に溶け込んで、これがまた旨いのです。気持ちが悪いという方もいますが、これを「コロッケのポタージュ」と呼んでいます。

コロッケそばの発祥は諸説ありますが、銀座七丁目にある明治18年(1885年)創業の老舗そば屋「そば所 よし田」が発祥と言われているので、一度食べに行ってみました。このよし田のコロッケそばですが、コロッケといっても、鶏のひき肉に山芋や卵、ネギを混ぜて揚げたもので、どちらかと言うと塩味の肉団子かつみれという感じ。私の考えるコロッケとは違うものでした。


日本のコロッケは、パン粉で包まれて円筒形や円盤形をしているフランス料理の“croquettes(クロケット)”が原型と考えられています。現在のようなコロッケが一般化して、家庭でのお惣菜になったのは大正9年(1917年)頃で、この年に浅草の日本館(浅草オペラ)で佐々紅華(さっさこうか)作のミュージカル『カフェーの夜』が上演されて、劇中歌「コロッケの歌」が大流行したのです。

そして、時代が下がり、立ち食いそば系で最初にコロッケそばを提供したのは、JR大阪駅前の新梅田食道街の中にあるに店立ち食いそば・うどん店「潮屋 梅田店」という説があります。以前、撮影で大阪に1週間ほど滞在していた時、新梅田食道街近くのホテルに宿泊していたので、大阪にもコロッケそばを出す店があるのだなと、朝食代わりにコロッケそばを食べに行ったことがあります。ちなみに、ここのコロッケそばは、かけそばに天かすとネギが入っており、コロッケはカレー味でした。この大阪の店は昭和44年(1969年)創業で、半世紀もコロッケそばを出しているのです。

カレー味のコロッケそばと言えば、首都圏の「箱根そば」もまた有名です。箱根そばは、小田急電鉄の駅の構内を中心に東京・神奈川に多店舗展開しているチェーン店で、1号店は小田急新宿駅構内で昭和40年(1965年)と大阪より早く、こちらが発祥とも言われているのですが、開業当時からコロッケそばがあったのか、資料では確認できないのだそうです。

冒頭の「東京コロッケヴァカボンド」なるメモには、つゆ、麺、コロッケの個人的な評価数字が記載されて、同じ店でも早朝の味から、しばらく経た時間帯に同じ日に食べて味の変化まで書いてあり、今更ながら当時は本当に好きだったんだなと思いました。仕事で行く先が初めての場所なら、早めに行って駅や周辺の立ち食いそば屋を探し、コロッケそばがあれば、必ず食べていたものです。今でも電車を降りて、どこからともなくそばつゆの匂いが漂ってくると、犬並みに鼻をひきつかせて入口を潜ってしまいます。チェーン店系から個人経営の立ち食いそば屋まで数えきれないくらい通いましたが、印象に残っているのは、ある個人経営の店です。揚げたてコロッケで、サクサクした感触が旨くて、コロッケをもう1個更に頼んで、ソースをかけて食べたのですが、豪華なご馳走以上の価値がありました。

日本にくるフランス人も、コロッケそばがフランス料理と和食の融合だなんて夢にも思わないことでしょう。