さんゆうねっと

お手伝いハルコの食の森羅万象

長年食を多面的に観察してきた後藤晴彦(お手伝いハルコ)が、食文化の現在過去未来を考察します。

熨斗袋は鮑のことだった!?

祝儀袋を買う時、どの祝袋にしょうかと悩まれた方も多いのではないでしょうか。

祝袋には「水引(みずひき)」がかかっていますが、ご存知のようにこれには色々な種類があり、其々に意味があるのです。ほどけないように固く結ばれた「結び切り(真結び)」や「あわじ結び(あわび結び)」には「一度で終わる」「繰り返さない」という意味があり、何度でも結びなおすことができる「蝶結び」には「何度あっても嬉しい出来事」という意味があります。

このお祝いの水引、実は誤解から始まったのです。室町時代、明王朝(中国)からの輸入品の箱に赤と白の縄が縛り付けられていたのですが、この輸出用の品を区別するために使用していた印を日本は贈答品の印と勘違いしてしまい、その後贈答品に赤と白の紐をかけるようになって、現在の水引の形になったのが起源と云われています。

では、祝袋の右上にある飾りが「熨斗(のし)」と呼ばれていることはご存知でしょうか。熨斗袋と云うと、所謂祝袋のこと。単に「のし」と印刷されているものもありますが、一般的には水引と熨斗の飾りがついていますね。この熨斗の飾りを詳しく見てみると、左右に綴じた赤白の奉書紙(ほうしょがみ)の中に何だか細い線のようなものがあるのにお気づきでしょうか。これこそ、熨斗袋の語源になっている「熨斗鮑(のしあわび)」を模したものなのです。


元々熨斗鮑とは、鮑の肉を薄く削いだ後干して、琥珀色になった生乾きの状態のものをさらに竹筒で押して伸ばし、水洗いと乾燥、押し伸ばしを交互に何度も繰り返すことによって作られた乾物のことでした。この熨斗鮑は、奈良・平安時代に朝廷へ献上され、高級食材・贈答品として貴族の間で重用されていました。鎌倉時代になると、経済的に豊かな武家は、祝意を表する相手の守護神への供物として酒樽と干鮑を贈ったのですが、あまり豊かではない武士は、高価な鮑の代わりに鮑を伸した熨斗鮑を添えたのです。この熨斗鮑の習慣が広まっていった訳ですが、何故なのでしょうか?

その理由は、縁起かつぎとして出陣の際に武士たちが行っていた三献の儀(さんこんのぎ)にあります。三献の儀とは、打ち鮑・勝ち栗・昆布の三品を肴に酒を三度飲みほす儀式で、三回目の杯を飲み干した後、それを打ち付けて割り、陣営を鼓舞していました。干鮑の身を打ち伸ばした打ち鮑、勝ち栗、昆布の三品を順に食すことで、「敵を討ち、勝ち、喜ぶ」という語呂合わせで縁起を担いでいたのです。

余談ですが、相撲の土俵には、勝ち栗・昆布・洗米・スルメ・塩・榧(カヤ)の実の6品が埋められています。「土俵祭り」といわれる地鎮祭で、これらは神様への供物であり、土俵の神様を呼び寄せて土俵の邪気を払う意味と、五穀豊穣、国家安泰、場所中の無事を祈るのですが、ここには熨斗鮑は含まれておりません。

鮑の身は長く伸びることから、永く延ばす、そして長寿・末永くと転じて、縁起物として扱われてきました。贈答用の干した鮑(熨斗鮑)を発祥とし、熨斗鮑の鮑が細く切ったものに替わり、現代では鮑自体も無くなって、簡単な印刷で「のし」とだけあるようになってしまうと、まったくもって現代人には意味のないものに思えますが、古来の習慣と伝統だと思うと、不思議な気持ちがしますね。