さんゆうねっと

お手伝いハルコの食の森羅万象

長年食を多面的に観察してきた後藤晴彦(お手伝いハルコ)が、食文化の現在過去未来を考察します。

味噌汁に酢、そして日本人のごはんの関係

放送局に勤める友人から聞いた話。会社の食堂で同僚の女性が味噌汁に大量の酢を入れて食べていたそうで、味噌汁に酢を入れるなんて考えたことがないのでビックリしたと。この話を聞いて、私も最初は味噌汁に酢って絶対にあり得ないと思いましたが、先入観で物を考えるのは良くないと思い直し、「味噌汁と酢」は相性が良いのだろうかと考察してみることにしました。

元々味噌と酢の相性は良く、酢味噌などの合わせ調味料があります。また、酢には塩味を弱く感じさせる効能があるので、ラーメンやチャンポン、焼きそばなどにかけることも。酸味のスープと言えば、中華料理の「酸辣湯(サンラータン)」や、ライムで酸味をつけるタイ料理の代表格「トムヤムクン」、トマトの酸味を使う「トマトスープ」などもありますが、味噌汁に酢とは意味が違います。味噌汁は、酸味を前提とはしていないのでは。

味噌汁というのは、日本が発明したインスタント食品の元祖。湯に味噌を溶くだけで即席のスープになり、これに季節の具材を工夫することで、それぞれの家庭の味となり、地域毎に独特の違いが生まれてきます。まさに日本の食文化の大元と言っても過言ではないでしょう。

その理由は一汁一菜にあります。ご飯とみそ汁と菜(おかず)で構成される一汁一菜は、いかにごはん(米)を多く食べることが出来るのかが重要なのです。今では考えられないことですが、昔の日本人は一度に沢山のご飯を食べていたのです。宮沢賢治の有名な詩「雨ニモ負ケズ」の中には、「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち……一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ ……そういうものに わたしはなりたい」とあります。これは、1931年(昭和6年)当時の日本人の食べる平均と考えてもいいでしょう。


さらにさかのぼること、江戸時代の庶民はどのくらい米を食べていたのでしょうか。江戸の庶民は、一日一人当たり米3合平均で食べていたそうですが、職業によっては一升飯を食べていたという話も残っていたのです。米は働くエネルギー源となり、労働で消費してしまうので、その当時肥満体というのは考えられないことでした。

この大量の米の供は、味噌汁、菜(副菜)と漬物なのですが、味の薄い味噌汁で沢山のご飯を食べることは可能でしょうか。やはり塩分の強い味噌がご飯とよく合って食が進み、時には味噌汁をご飯にかけて食べていたのでしょう。「ご飯を食べるのに、日本人は昔から汁を飲んだ。まるで汁がなければご飯が食べられないようだ」と400年前のポルトガル人の記録があり、日本人は味噌汁などの汁物が大好きな民族で、本膳料理の中で二の膳つきの場合は必ず汁が二種つくことになっていたのです(農林水産省HP「日本の伝統的食文化としての和食」より)。

余談ですが、地方から上京してきて自炊生活を始めた頃、今では笑い話ですが、「米1合=茶碗1杯」と思い込んでいたのです。炊飯器で3合炊き、それを一度に食べて、なんて量が多いのだろうと思いました。苦しくなるまで食べてもまったく気がつかなくて、1週間ほど経ってから3合は茶碗約6杯の量だと判ったのです。江戸時代の人より食べていたのですね。

もしも味噌汁に酢を入れて食べる方法が当たり前なら、塩味が弱い感じになり、そうはご飯を沢山食べるのは無理だと思います。味噌汁に酢をいれるとご飯が沢山食べられないという長年の米食民族の暗黙の了解で、DNAに刻み込まれていたのではと想像してしまうのです。しかし、現在そんなに米を食べるという時代では無く、逆に糖質制限やダイエットしている人なら、味噌汁に酢を入れて食べることは意外に理にかなっているのではないでしょうか。