さんゆうねっと

お手伝いハルコの食の森羅万象

長年食を多面的に観察してきた後藤晴彦(お手伝いハルコ)が、食文化の現在過去未来を考察します。

カウンター割烹の罠

鮨や天麩羅店を予約する時、「カウンターは空いていますか」と必ず訊きます。カウンターが空いてなくてテーブル席の場合でも、「空き次第カウンターに移動させてください」と頼むのですが、そもそもカウンターが空いてなければ、店を予約しないのです。かく言う私は『カウンター第一主義』です。

今回は、カウンターの魅力について考えてみることにします。

鮨屋なら握りたての鮨が即間髪を入れずに食べられるし、天麩羅屋なら揚げたての熱々の天麩羅を口に運ぶことが出来ます。その料理にとって最適な温度を味わうことができるのが、カウンターなのです。一度、気に入りの天麩羅屋でテーブル席しかなくテーブルで食べた時に、天麩羅の温度が微妙に下がり、食感が悪くなっていたことがありました。やはり、目の前で揚げた天麩羅の美味しさに程遠いと感じ、同じ金額を払うなら絶対にカンターだと確信したのです。また、焼鳥や鉄板焼きも同様で、カウンターで食べてこそ、舌も心も高揚してくるのです。しかし、例外もあります。それは鰻です。鰻の場合、カウンターよりもテーブルでいただく方が落ち着くのは、鰻が出てくまでに時間が掛かるので、カウンターだと「間が持たない」からだと思うのです。

さて、ここからが本題。カウンター割烹の世界です。


日本料理は、茶道から発達した「懐石料理」と酒肴を供する「会席料理」の二つの流れがあります。どちらにしても、茶室や和室の閉じられた空間で行われますが、カウンター割烹は店と客が対峙し、他の客同士が隣合わせになります。客からすれば、店の主人の他に知らない者同士が同じ場に居並ぶので、慣れないとかなり緊張することがあります。箸の上げ下げ、椀のふたの取り方、料理を口にもっていく所作‥‥他の人の目が大変気になってしまうのです。

祇園の有名な割烹店のカウンターで食事をしていた時のことです。席数わずか8席ほど、客は私たち夫婦を入れて4名で、端には今は亡き名優が一人で食事を静かに楽しんでいました。後から若い男性が入って来たのですが、修行中の料理人なのか、勉強のために京都で食べ歩きをしているようでした。その若い男性はカウンターの膳の上の箸を見て、「すみません、これ濡れています。替えてください」と。一瞬、カウンターの中と外が凍りつきました。ご主人はイヤな顔ひとつせずに箸を交換していたのですが、これには大きな意味があるのです。

箸が濡れているのは、椀物をいただく時に木製の箸に味が染み込んでしまうのを防ぎ、乾いた箸に料理がこびりついてしまうことを避けるためなのです。また、椀物のふたにわざわざ霧吹きで細かい水滴をかけて、ふたをしています。中身がちゃんと入っていますと、一目で判るようにするためなのです。茶席の床の間に一筋の水をかける感覚に近いと思います。割烹の「割」は包丁で切ること、「烹」は火を使う調理法のこと。この「割烹」がカウンター越しに楽しめるということは、味だけではないのです。その若い男性は、料理を堪能したのかもしれませんが、食文化を知る、理解するという点では失格で、なんの勉強にもならないと思いました。

実は、京都のカウンター割烹に通う様になった時に、今更ながらですが、箸の持ち方や器の扱いなどを学習し直しました。椀ものをいただく時、右手に持った箸は置かずに椀の高台に箸を添えるとか、結構慣れないと難しいのですが、慣れてくると全体の所作がきれいに見えてきます。美しく食べるという行為は、日本の食文化の本質でもあると思います。