さんゆうねっと

お手伝いハルコの食の森羅万象

長年食を多面的に観察してきた後藤晴彦(お手伝いハルコ)が、食文化の現在過去未来を考察します。

コッペパンの聖地、盛岡の「福田パン」

盛岡市に行く度に立ち寄る、コッペパンで有名なパン屋さんがあります。戦後間もない1948年創業の『福田パン』という店です。フランスパンや食パンの製造を経て、1975年に地元・岩手大学の売店でパンの販売を始め、「安い値段で学生を満腹にさせたい」と独自のコッペパンを開発したのだそうです。そのコッペパンは盛岡市民のソウルフードと呼ばれるほど、地元で愛されています。

この福田パンを最初に教えてくれたのは、百貨店での販売計画に携わっている食担当の女性ディレクターでした。以前、東京のとある百貨店で岩手県の食のイベントを開催する機会があり、和食とイタリアンの有名シェフを招いて岩手県内の生産者を視察する行程の中に、福田パンへの訪問も含まれていたのです。彼女は、この福田パンをスタッフごと東京に持ち帰り催事をしたいとまで惚れ込んでいたのですが、そのイベントの後他の百貨店での催事でも取り上げられ、最上階にある催事場から1階まで長蛇の列ができて、あっという間に売れ切れてしまうほど人気店となりました。今や福田パンは「コッペパンの聖地」とまで呼ばれるようになり、県外でも人気のパン屋さんになったのです。

盛岡の書店のコッペパンコーナーで、木村衣有子著の『コッペパンの本』(産業編集センター)というのを見つけ、盛岡駅の北口改札口にもある福田パンであんバターを購入して新幹線に乗り込み、一読。盛岡の福田パンから亀有の人気のコッペパン専門店「吉田パン」が誕生し、福田パンを修行した人達が全国で新たなコッペパンの店を開いているのだとか。実にコッペパン愛に満ちた本で、中には前から思っていた疑問もありました。コッペパンに具材を入れる時、サイドから切り開いているものと上の部分から切れ込みを入れているものがあり、どう違うのかということなのですが、元々コッペパンというのはアメリカでパンの製法を学んだ田辺玄平によって考案されて日本で独自の進化を遂げたもので、定かではないのですが、フランス語で「切られた」を意味するクープ(coupe(e))が語源ではないかと言われているのです。パンを焼く前の生地にナイフで切れ目を入れる際の専門用語が転じて、コッペ、コッペパンとなったのだと。


このコッペパンの切れ目、東日本はぽてっとした形のコッペパンで腹割りなのですが、西へ行くとほっそりした背割りのタイプ、関東は中間型で腹割りなのだそうです。これって、鰻をさばく時の「関東の背裂き、関西の腹裂き」と逆で面白ですね。コッペパンの具材と言えば、あん・バター・ジャム・ピーナッツバターなどの甘いものから焼きそば・ナポリタン・コロッケなどのおかず素材と多種多様で、ほぼ何でもあり。店頭で見ていると、びっくりするような具材に出会ったりします。

小学校の頃、病気で学校を休んだりすると、家の近所の同級生がわら半紙に包んだコッペパンを持ってきてくれたものですが、これがまたどうにもこうにも美味しくない。脱脂粉乳とコッペパン世代の私としては、正直なところ、コッペパンって貧しい食べ物という印象をずっと抱いたのです。しかし、盛岡の福田パンと出会い、今更ではありますが、コッペパンの面白さや可能性に興味がわいてきたのでした。日本発祥のコッペパンは、これまであまり表舞台に出ることはありませんでしたが、これからは海外へ発信出来る日本のパン文化の象徴になるのではないかとまで思う今日此の頃なのです。